風景写真:隅々までシャープなものが好ましいカルトの歴史:賢者=芸術家は、細かい不必要なものは解像させないという美術理論は17世紀には成立していたのに、その理論に歯向かったプロ写真家たち

17世紀(1676年)に、現在は写真では、ボケ、ブレなどを示すフランス語のFlouが、美術専門用語として登場しますが、

フランスの画家たちは、風景絵画では、実際に目に見える光景を再現する手法として、細部をぼかす手法を理論として確立していました。

当然1830年代から一気に普及し、新たに職業として誕生した写真家たちも、そうした理論自体は知っていたので、例えば

Henri de la Blanchère, “études photographiques”, La Lumière, no 5, 31 janvier 1857,

Consultons notre œil; il nous dira que pour les vues d’ensemble, les détails s’effacent et se groupent en masse générale d’autant plus grande que nous nous éloignons davantage et que nous embrassons un plus grand espace. […] Et maintenant qu’allons-nous faire si nous sommes sages, c’est-à-dire artistes? Suivre ces conseils, sacrifier les détails si nous voulons l’ensemble 実際の私達の目で検証しましょう。目は、全体的な視野では、【光景の】細部が消えて、全体的な塊にグループ化【まとめられ】され、遠ざかるほど、またより大きな空間を【私達の視界が】受け入れるほど、その【細かいディテールが省略されてボケた】塊が、さらに大きくなる、と教えてくれます。[…] 私達が賢者、要は芸術家ということですね、ということであれば、さてどうしましょう?このアドバイスに従い、私達が【景観の】全体【の写真】を見たいのであれば、細かいところ【の描写】を省くということをします

*œil 眼球

*les vues d’ensemble 全体的なビュー

* s’effacent 消え去る

* éloignons 離れる

* davantage より、それ以上

* maintenant 現在

* Suivre したがって 

と、芸術を写真で実現するなら、絵画と同じように、細かい部分の解像は捨て去るのがよく、それは実際に目に見ている光景と同じになる

という認識が、プロの写真家でもないことはなかったのですが(大学とかいうカルチャーセンターの三文学者たちは、日本は写真に関して、ぼかすことに独特の美学があったとか書いてる、変なのが多数いますが、まあ、資格商法の権化の、仕事の学力小学生の本末転倒昭和世代)、

絵画におけるFlouは、19世紀は特にフランスの商業写真家たちには否定されます

どういうわけか、19世紀のプロ写真家の間では、風景のみならず、何でもかんでも絞ってパンフォーカス、隅々までシャープなのが正しく、絵画のようなFlou=ボケブレを志すのは、アマチュア写真家なのであるという言論が支配的となり、

1857年のla Société française de photographieフランス写真協会は、Anon., “Rapport sur l’exposition ouverte par la Société en 1857 (suite et fin)”, BSFP, t. 3, septembre 1857, p. 276.(1857 年に協会が開いた展示会の報告(続きと終わり))で

si quelques artistes ont trouvé dans ce flou même un certain charme, le plus grand nombre se sont vivement récriés, prétendant que la photographie n’a pas le droit d’employer de tels effets, et qu’une netteté parfaite est toujours pour elle une condition absolue 一部の芸術家はこのぼかしに魅力を感じたが、大多数は強く反対し、写真にはそのような効果を使う権利はなく、完璧なシャープネスが常に絶対条件だと主張した。

*netteté 最近は別の単語使うようだが、この時代はシャープさの表現でこの単語

*se sont récriés 反論、反対する

*vivement 強く、鋭く

そうした写真家たちの、隅々までシャープな写真こそが真実の記録であるという主張に、

フランスのロマン主義の画家ドラクロワは、

人の目に見える光景は、細部までシャープで解像していることはなく、写真家が風景の記録だという、風景写真は、実際は偽の記録コピーだと皮肉ったこともあります

“copie, fausse en quelque sorte à force d’être exacte” Eugène Delacroix, “Revue des arts”, Revue des deux-mondes, septembre 1850, p. 1139-1146 (“【The Professional Photos of his time are】Inaccurate, so to speak, low-quality copy” 「【写真家たちの撮っている写真は、現状異様な解像にこだわっていて】正確であろうとして、ある意味では、偽りの【自然風景の】コピーなのである」)

*en quelque sorte = as it were, so to speak, いわゆる

*à force de = by force 力で無理やりに

欧州では20世紀はじめまで(20世紀になると、一番保守的だったフランスでもボケやブレを表現として用いることに、肯定的な流れが生じ始めます)、そして、北米・アメリカでは、20世紀なかばまで、ボケブレアレは、プロ写真家の「禁忌」であるという思想が支配的でした(もっともボケブレアレを写真に使っていた人たちは、他のジャンルの芸術家たちの支援を受けて活動し、有名かつ裕福だった人も存在します。アメリカでは20世紀前半に、創造的な写真を追求させていたのは、写真協会や写真雑誌ではなく、ファッション雑誌でした)

これには写真は、旅行パンフレットの資料としての商業利用が多く、芸術性を無視してでも、細かいディテールが入る解像の高いものでなければならなく また、記録資料としての写真でも解像が求められていたからです

1860年代、旅行写真家Francis Frith(England 1820–1899)が、Francis Frith, “The Art of Photography”, The Art Journal 5 (1859)という記事で、風景写真で、芸術を志向するのは、写真はその細かいところまで正確に記録するという特性があり、芸術手段としてみると、その解像の高さが障害となっていると書いています

We now come to the disadvantages of this attribute: for it happens, by a singular fatality, that upon it hangs the chief reproach to photographic reproductions as works of Art. The fact is, that it is too truthful. It insists upon giving us ‘the truth, the whole truth, and nothing but the truth.” Now, we want, in Art, the first and last of these
conditions, but we can dispense very well with the middle term. Doubtless, it is truly he province of Art to improve upon nature, by control and arrangement, as it is to copy her closely in all that we do imitate; and, therefore, we say boldly, that by the non-possession of these privileges, photography pays a heavy compensation to Art, and must for ever remain under an immense disadvantage in this respect.

—–

しかし、写真にボケブレアレも表現として認められた21世紀も、

風景写真は隅々までシャープなのが好まれる

という得体のしれない理論がまるで、風景写真のオカルト伝説として生きています

まあ、見た自然現象を記録するという目的なら、隅々まで解像という話もわかりますが、

実際の人間の目は、風景を隅々まで細かく解像させて眺めていないし、19世紀画家のドラクロワがいったように、偽物の風景のコピーを撮影して喜んでいるのが写真家だと(ドラクロワは自分の絵の下絵に写真を多用していましたが、絵の参考資料としての写真は、隅々までシャープな写真を好んでいました)


被写体を目立たせる手段としては、

現在の写真家たちが、ボケ以外にモデルを引き立たせるために使う工夫

明暗差や、補色関係の利用(色彩遠近法の類)

ポートレート写真は背景をぼかすのがセオリー?【写真にかかわる怖い偽科学】ボケではなく、色や明暗差を利用して、モデルを背景から切り離す手法も多数使われる

と、同じようなライトや、明暗差のセッティングなどの研究を行っており、ぼかさずにも、モデルが引き立つような手法の研究も盛んでした


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